第3回「天と地と、世界の構造と階梯」 (『聖戦士ダンバイン』より)
「この宇宙には巨大な亀が在り、その上に同じくらいの巨体の象が立ち、その上にバイストン・ウェルの大地がある」。この宇宙観はバイストン・ウェルに古くから象徴として存在しているものだが、当のバイストン・ウェルに住む者でさえ、それが幻想であることを知っている。いや、あるいは、そのような時代もあったのかもしれないが――
現在知れるバイストン・ウェルは三つの世界から構成され、 コモン界から見て天にウォ・ランドン、地(地下、地の果て)にボッブ・レッスが在る。ウォ・ランドン界は水の天界とも呼ばれるフェラリオたちの世界。内部はオージ、インテラン、ワーラー・カーレンの三層から成り、ワーラー・カーレンはクスタンガの丘を介してコモン界に通じている。対してボッブ・レッス界は闇の界と呼ばれる、悪しきガロウ・ランが出ずる世界。トゥム、ネイザ・ラン、ノムの順に底深い層とされ、最も浅いトゥムからは、たとえばフェンダ・バイルという緩衝地域を介してコモン界に通じている。
本来であれば、それぞれに生きるフェラリオ、コモン人、ガロウ・ランは接触することがない。しかし、世界が乱れて安定が崩れると、禁は破られる。そうしてコモン界へ侵入するフェラリオやガロウ・ランが現れる。これらが住む≪界≫について整理しておく。
:ウォ・ランドン フェラリオたちが住む世界でもっともコモン界に近い領域がワーラー・カーレンである。地上界でいうところの淡水と海水がないまぜに満ちており、女たちのフェラリオが住む。時の流れは緩やかで、百年単位での生息がざらとなる。
ワーラー・カーレンよりもオージに近い領域がインテランである。インテランは男性主体のフェラリオの場で、女性のフェラリオとしてはエ・フェラリオをまっとうしたものが住むとされる。
そしてウォ・ランドンの中心か、あるいは最奥か最上位に、光あふれるオージの領域がある――その界、あるいは存在について明らかなことは少ない。無理やりに我々の言葉で示せば、清められ得るフェラリオを清める光に満ちているという。
:ボッブ・レッス 闇の界。そのイメージは地中、地の底であるが、それは物理的な位層をしめすものではない。悪の想念が積み重なることで、結界のごとくコモン界から分かたれてしまっているというのが実態に近いようだ。
コモン界とウォ・ランドン(ワーラー・カーレン)の界が明確に分かたれて判然としているのに対し、ボッブ・レッスの最も浅い階梯としてのトゥムの領域は、コモン人も足を踏み入れてしまう、踏み入れてしまえる。魂の遊び場としてのバイストン・ウェルにおいて、この構造は人の魂が純粋な知性(賢い、という意味ではない。誤解を恐れずに言えば無垢)よりも、悪意とたやすく連動することを示しているのかもしれない。
トゥムよりもさらに押しひしがれた魂が集うネイザ・ランの界に至ると、しかしそこは地獄そのものではない。トゥム、そしてコモン界へと直結するポイントが出現することがあり、ネイザ・ランの住人はそこへ行き着くことを欲し、そのために死闘が繰り広げられているという。
:そして、ノム あるいはノンム(ンは小文字的な表音となる)。ボッブ・レッスの階梯において最底辺に存在するとされる領域、あるいは存在。想像される限りの悪意のあらわれ――邪に遊ぶ魂が至る果てなのだから、さもあらん――このノムたる界に入り、生還したものはいないとされている。一切の描写が残されていないからである。
ただし、バイストン・ウェルという世界=スペースの一部として考察すると、光の善性を指向するウォ・ランドンとは真逆の性質であろうとの推測は出来よう。すなわち、地上においては悪霊と称されるような、闇の悪性を指向する魂の集合体である。
「それ」がバイストン・ウェルにおいてカ・オスと呼ばれるものの正体ではないか――と筆者は疑っている。真の悪意であるそれは、あるいは地上の世界にまで滑り込み、「現実的な現象」にまで影響している可能性を、当講座は否定できない。バイストン・ウェルのスペースを構成し、存続させている力は=生体エネルギー、オーラ・エナジィの集積体であるのだから、界を成すまでの量的なそれが、地上に歪みをもたらすとしても不思議ではないであろう。
理解を深めるために、本項の最後に再び、人類の持つ根源的な死生観の話をなぞらえてみたい。すなわち肉体をもって生きる地上の世界と、肉体を離れて――魂の存在となって逝く死後の、霊の世界というふたつの構造を、人はその魂の本質の部分で知っている(魂の底にバイストン・ウェルの記憶があるからだ)。そして、多くの神話・伝承において、死後、霊の世界は光あふれる善き天国と暗闇の悪なる地獄のイメージであらわれてきた。それらはバイストン・ウェルにおける水の天界ウォ・ランドン、地の底の闇ボッブ・レッスと、まさに相通ずるではないか。
人の想像力の源泉がバイストン・ウェルでの体験や記憶というものであるのなら、その表れが天国であれ、地獄であれ、住むところも言語も違えど同じ類型の神々や妖精、妖鬼の物語が伝えられてきたことも、それら夢想の素地が同源なのだとしたら、納得するほかはない。
< ◆バイストン・ウェル ~魂の安息の地~ 了 >
第4回「オーラ・バトラーの開発」(『聖戦士ダンバイン』より)