第5回「空を飛ぶ騎士」(『聖戦士ダンバイン』より)
オーラ・バトラーの第一号は「ゲド」と名付けられ、アの国王フラオンへ献上された。このゲドの開発以降、ドレイク・ルフトとショット・ウェポンはいずれバイストン・ウェルを支配するという野心を拡大させていく。その礎となったオーラ・バトラーの開発に関連して、次のような出来事と人物の紹介をしておく。
:ダンバインとドラムロ この時期、オーラ・バトラーの装甲の素材として重宝されたのが強獣キマイ・ラグである。ゲドの試作過程においてラース・ワウ近辺のそれらは乱獲され、生息数を激減させたという記録がある。 キマイ・ラグはゲドやその後継機ダンバインを思わせるシルエットを持ち、特に頭部はサイズ感や形状が近似していることで知られる(本来的にはゲドやダンバインこそがキマイ・ラグに似ているわけだが)。可動するダンバインの製造が3機に留まり、そののちしばらく「ドラムロ」の製造に移行せざるをえなかった理由に、このキマイ・ラグを十全に確保できなかったことが挙げられる。それではドラムロの外殻は何で出来ているかといえば、強獣は強獣でも水棲型のグラバスが用いられている。グラバスは地上でいう蟹に似たもので、その甲羅を利用したドラムロもキマイ・ラグを素にするゲドやダンバインのシルエットとは異なる重厚なものとなった。以降、オーラ・バトラーの開発は機動力優位のダンバインと、装甲優位のドラムロの二系統の改良発展が基本となる。その背景には、そもそもの素材が異なるという理由があったのだ。
:オーラ・ジェネレーター オーラ・マシンの操縦席はオーラ吸収装置の機能を兼ねており、これをオーラ・ジェネレーターと呼ぶ。操縦者のシートに備えられたクリスタルの輝きは、その作用による(輝きの色は操縦者によって異なる)。オーラ・シップの場合は玉座がその機能を持つ。吸収されたオーラ力が前述のオーラ・コンバーターやオーラ・マルスのエネルギーとなってオーラ・マシンの可動を制御するわけだが、初期に開発されたオーラ・マシンは吸収したオーラ力に対しての反応効率、稼働効率がきわめて低く、大多数のコモン人のオーラ力では出力も稼働時間も実戦に耐えうるようなものではなかった。そのため、ショットはこの効率=オーラ係数を高めるコンバーターの開発に、ドレイクは発揮するオーラ力が高いと思しき地上人の召喚に尽力することになった。
:ゼット・ライト 地上人ゼット・ライトが召喚されたのはショット・ウェポンよりは後、「聖戦士」ショウ・ザマたちの召喚よりは前のことである。このゼット・ライトは電子技術者であって、それがショットの希望であったのか定かではないが、集積回路(IC)の製造技術をバイストン・ウェルにもたらした。これによってオーラ・バトラーの運動プログラムの制御が可能となり、また、オーラ力のエネルギー変換装置「オーラ・コンバーター」の飛躍的な能力向上を達成した。ただし、コンバーターの出力は容積と比例するものであったため、その後のオーラ・マシンの大型化にも拍車がかかっていくのだった。
:ショット・ウェポン ここまで、誰もが周知の偉人かのように解説へ登場してきた「ショット・ウェポン」なる地上人については、しかし、不詳の面が大きい。本稿に示したオーラ・バトラー開発の経緯やその後の顛末は歴史が示すとおりとしても、その生い立ちからバイストン・ウェルへ現れるまでの期間が明らかではないのである。アメリカのカリフォルニア出身というが、本人の述懐によれば、何らかの理由でオーストラリアへ逃亡した両親に幼き日のショットも連れられて行き、その荒野で重労働(ショットいわく「時代錯誤な」)を課されるという屈辱的な青春を送っている。そののちにおそらくは単身、再びアメリカへ戻り、同国空軍のパイロット候補生であったトッド・ギネスが「ロボット工学の新鋭」と認知するまでになっていくが、アメリカという母国への鬱屈した情念が、ショット・ウェポンをドレイク・ルフトの野心と結び付けたといえる。
さて、このショット・ウェポンは知られている通りいち工学者としての枠に収まらず、世事の栄達を望んだ。「オーラ・バトラー」を発明・開発したのはショット・ウェポンという天才に他ならないのだが、その功名を独占したいがために、そこへ至る過去のオーラ・マシン開発の歴史の跡を葬った とされている。次項ではその、ショット・ウェポン以前の「研究」の歴史をつまびらかにしていく。