サンライズロボット研究所

指南講座
2024.06.14

第6回「地上人とコモン界の研究」(『聖戦士ダンバイン』より)

 前項のとおり、ショット・ウェポンの登場以前に、オーラ・バトラー開発の素地があったことは疑い得ない。バイストン・ウェルの歴史を振り返ると、数名から十数名の医師、生物学者の類の地上人が存在した事実があり、そのことは強獣(当時の記録では恐竜になぞらえて恐獣という表記も見受けられる)の行動観察・研究記録が遺されていることからも明らかなのである。その記録は強獣の神経系統や体液の特異性を研究したものであった。

 

:強獣の研究 研究の過程で、強獣は脳死状態であっても、体液が保全されている間は高度の運動機能を持続することが判明する。薬剤、あるいは電気的な刺激により、強獣の身体各部を人工的に操作する術を探求する地上人たちの一団の姿が想起されよう。こうした機能観察で、強獣のヴァイタリティには個々の生命活動のほかに、何らか未知のエネルギーが作用しているのではないか、という仮定が生まれた。たとえば、世界に満ちる生体力、東洋思想の「気」のような――ということで、オーラ・エナジィと名付けられたそれと、強獣の関係が解剖学的に探究されていった。この研究・実験の内容はバイストン・ウェルの人々にとっては悪魔的であり、関係する者は忌み嫌われて当然であっただろう。しかし、そのような環境にあっても、この「研究」がコモン界の時の流れにして百有余年続いていたとされており、背景に何らかの組織的な援助があったことがうかがい知れる。

 

:オーラ・モーブ 地上人の近代科学者たちによる実験は継承され、その結実がひとつの形となって現れる。それがオーラ・バトラーの原型(アーキタイプ)とされる「オーラ・モーブ」であった。オーラ・モーブとは「オーラの力で動くもの」 というような意味で付けた呼称らしい。強獣の甲羅などで外殻を造形し、筋肉・神経組織、体液の循環機能などを内蔵した、動く何か。まるで亀や昆虫の死体を寄せ集めて、可動する造形物に仕立て上げたかのような――フランケンシュタイン的な造物であり、現在の地上人の耳目に触れても好ましいものではあるまい。とにかく――形となったそれらオーラ・モーブは、農耕・建設に有用な道具として喧伝されたらしい。当初は有線式の操作方法であったが、オーラ・モーブに人が乗る、または乗り込んで操縦するというレベルに到達するまでに時間はかからなかった。そうすると、地上でいうところの「重機」として活用できると研究者たちは考えた。牛馬的なものでは出来ない人手のかかる作業を、よりパワフルにこなすことが出来るではないか――。しかし、コモン人は先の通り命を弄り回すかのごとき行いに嫌悪感をもっていたから、このオーラ・モーブというものは受け入れられず、そのような作業に用いられることも、継続的に制作されることもなかった。

 

:オーラ・エナジィ このようにしてバイストン・ウェルに置き場所のない鬼子となったオーラ・モーブであったが、一方で新たな、そして重要な証明につながった。バイストン・ウェルにおいて、個々の生命はもちろん、世界を形成しているそのものの生体力(オーラ・エナジィ)がいかに実存を支配しているか、ということである。バイストン・ウェルにおける自然の法則といってもよい。そして、バイストン・ウェルの世界としての生体力もまた個々のそれと同じく揺れ動いており、大きく振れればその波動が魂の奥底に作用して、世の乱れを引き起こすと考えられるのだった。

 

:再び、ショット・ウェポン そうした歴史的背景があった上で、混迷と動乱の色が濃くなると、一般のコモン人はさておいて、支配欲、権力欲の強い国の王や領主、その騎士団などが、いつかの時代に取りざたされたオーラ・モーブを戦いに利用出来ないかと考えても不思議ではなかった。嫌悪感よりも、戦いに勝つ、組織勢力の激突に勝利せねばと欲する――そういったコモン人たちの野望がたかぶり、コモン界のオーラ・エナジィがうねる。そこへ地上人ショット・ウェポンが召喚されたことで、欲望の渦は増大し、攪拌されたのである。
 そのような時代にオーラ・モーブとその理論を手に入れた彼が、早晩オーラ・バトラーの開発に至ることは必然であった。俯瞰して見れば、一連の開発史はバイストン・ウェルが導いたものであったかもしれないと当講座は考える。世界が永年の生体力(オーラ・エナジィ)の安寧を望む一方で、停滞と沈澱をきらう反発が起こり、時代の激動を念じたのではないか、と――。

 以上、ショット・ウェポンの登場以前の強獣とオーラ・エナジィの研究、オーラ・モーブなる造物をめぐる記録であった。
 ショット・ウェポンの功績として、初のオーラ・マシン「ピグシー」とその後の「オーラ・コンバーター」の発明、それ以降の劇的なスピードでの「オーラ・バトラー」「オーラ・シップ」「オーラ・ボンバー」等々の開発が挙げられるが、その素地として強獣の先行研究が重ねられ、その導線の上にショットが招かれたと考えるのが筋であり、正しい歴史認識である。
 過去に開発されたオーラ・モーブの再生、実証実験にすぎなかったピグシーが、ことさらに「ショット・ウェポンが発明した、初のオーラ・マシン」と喧伝されたのは、ある意味での政治的な、自身の存在をアピールするためであった。現在でも地上の「バイストン・ウェル愛好家」の多くはショット・ウェポンを ”オーラ・マシン開発のパイオニア” と認識しているのだから、彼の歴史修正は達成されたといってよいかもしれない。

 ただし――彼、ショット・ウェポンが ”オーラ・バトラーを初めて開発した” ことは事実で、その後の改良・発展に示された彼の天才性を否定するものではない。その一例として、本項の最後にオーラ・コンバーターの開発経緯を紹介しておく。

 

:オーラ・コンバーター ドレイク・ルフトの元へ召喚されたショット・ウェポンはまず、前述した「オーラ・モーブ」を戦いに利用出来ないか、という命題に向かい合ったと思われる。その構造や稼働を確認するなかで、ショットはオーラ・モーブの排気に着目したのであろう。その噴流をジェットエンジンのごとく推進に利用することが出来れば――そして開発されたものが、空気中のオーラ・エナジィを取り込んで推進する初のオーラ・マシン、オーラ・ボムの「ドロ」である。そこで得た知見をもとに、飛行向けの形態ではないオーラ・モーブのような、あるいは目指す人型のロボットを飛行させるランドセル型の推進機関「オーラ・コンバーター」開発に至り、飛行する巨大騎士「オーラ・バトラー」が誕生した。なお、「オーラ・バトラー」という名称もショットによるといわれる。

<◆オーラ・バトラー ~ショット・ウェポンの登場と功罪~ 了>

 

第7回「オーラ力(ちから)――その輝きと善悪の秤」(『聖戦士ダンバイン』より)