サンライズロボット研究所

指南講座
2024.06.21

第7回「オーラ力(ちから)――その輝きと善悪の秤」(『聖戦士ダンバイン』より)

◆聖戦士 ~地上人とオーラ力~
「オーラ力は生体エネルギーだ……人それぞれに、オーラ力の色があるんだ。それをお前は、自分の欲望のために使った!」 [ショウ・ザマ/タータラ城攻防戦にて]

 

 バイストン・ウェルの伝承によれば、「聖戦士」とは彼の地が乱れたとき、動乱を平定するために現れる戦士のことである。のちに混同されるように地上人がイコール、聖戦士ということではない。聖戦士はバイストン・ウェルの意志の現れとされ、6500年以上もの昔に、ゼノラーという13歳の少年が翼の如きオーラの光を――「リーンの翼」を発して戦ったのが嚆矢(コウシ)とされる。ここでは「聖戦士」とは並外れたオーラ力を有し、発揮する者のことと解釈しておきたい。

 

▼オーラ力(ちから)――その輝きと善悪の秤
 バイストン・ウェルに満ちる生体力=オーラ力は個々人や天然自然のあらゆるものが持ち、発しているもので、普段の生活の中では見えなくとも、そこかしこに作用している。それが強獣やオーラ・マシンの巨躯や稼働を可能にしていると前章では述べた。このオーラ・エナジィが何らかの要因で視認される状態をオーラ光(ひかり)と呼ぶ。オーラ・コンバーターから放出される光の噴射や、フェラリオの発する燐光などがそれである。このような視認できるオーラ力としての発光、その色は個々人で異なり、フェラリオにはこのオーラ光が常に見えているというから、フェラリオにとってのコモン界は極彩色のメリーゴーランドのようなものであろう。
 このオーラ力、オーラ光というものは、それぞれの魂の性質と少なからず関係していると考えられる。そして、バイストン・ウェルをつらぬく善悪、聖邪の性質がここにも意味をつけているなら、負のオーラと正のオーラというべきものがあり、その発現の極端さは悪意の増大を呼ぶハイパー化として、あるいは光の巨人として、聖戦士の光――リーンの翼というものとして、あらわれているのかもしれない。

 オーラ力のあらわれとして端的なものが、地上で示されるオーラ・バリアーである。これは地上でのオーラ・マシンが発揮する特異な現象で、機体の周囲にオーラ光をともなう力場が形成され、ミサイルの誘導や直撃、爆風を無効化するほか、強大になると核爆弾の爆発のさなかでも影響を受けずに生存させるほどである。それはオーラ・シップ、オーラ・バトラーの能力というより、それによって示される搭乗者たちが戦い抜こうとする意思の噴出にも見える。
  このオーラ・バリアーは可視化されなくとも効果を発して互いに干渉し合うようで、戦闘領域にオーラ・マシンが多いほど火器の攻撃力が弱まる(薄まる)ことが知られている。まるで、その場が許容できるオーラ・エナジィの枠を分け合っているかのように。(地上ではオーラ・マシンが単機で在るほうが、より破壊力を示すということは、ダンバインとバストールが新宿で見せた異常な火力が証しているとおりだ。)地上界ではオーラ・バトラーの能力が飛躍的に向上する――というより、本来の能力を発揮するというほうが正確であろう。バイストン・ウェルでオーラ・マシンの火器が地上ほどの威力を示さないのは、世界に満ちているオーラ・エナジィによって「機械」の力が抑圧されているのである。

 

 こうしたオーラ力のひとつの極限としてのあらわれが、「ハイパー化」とよばれる現象であった。「ハイパー化」が初めて確認されたのは、地上でゴラオンを沈めようと進攻するジェリル・クチビのレプラカーンにおいてである。交戦したビルバインのショウ・ザマをはじめ、ダンバインのマーベル、そしてゴラオンのクルーが見た「それ」は、まさに「巨大化」であった。集団幻覚やヒステリーの類ではない。幻ではなく、物理的な実体でもないが、しかし「それ」は実在するパワーとして剣を振るい、ビルバインを握りつぶそうとしたのだ。言うならばオーラ・バトラーのオーラ・バリアーが拡大し、増大し、オーラ・バトラーの形をもって具現化したものと解釈せざるを得ない。
 この「ハイパー化」がどのようにして起こるのか、再現性がないため断定はできないが、この場合はジェリルが憎しみや怒り、驕りといった心、そういった負の感情に取り憑かれ、肥大化したことで発現したとされている。そして、それらが繰り返し反復するかのようにして、悪意は際限なく増大し、そして――ジェリルとレプラカーンはなかば自滅していった。

 

 「赤い髪の女」ジェリル・クチビの撃進。オーラ力を戦いに振り切った者がたどる結末の一例――この恐怖は人々に伝播し、オーラ・マシンや戦いの意味を見つめ直す契機ともなった。
 バイストン・ウェルを考察する者は知っている。オーラ力は人の生体エネルギーであり、バイストン・ウェルはそのエナジィによって支えられているものだと。そして、オーラ・マシンが地上界でも稼働し、さらにはバイストン・ウェルに在るとき以上の戦闘力を発揮するということが、何を示しているのか。地上界に満ちる人類の生体エネルギー、心身に執着する魂の強さ、生への欲望というものが――バイストン・ウェルよりも鬱々と堆積しているのだ。だからこそ、ジェリルのオーラ力は地上で周辺の人心を抱き込み、思うがままに志向させ、そうして寄り集まり、増大した「悪意」は周囲の破壊衝動をつき動かし、相互に作用して膨れ上がったのだ。
 そしてその後も、トッド・ギネス搭乗のライネックが、黒騎士搭乗のガラバが「ハイパー化」し、その膨れ上がるオーラ力の中に呑み込まれていった。いずれも、トリガーは各自の意思や魂の揺れ動きにせよ、ショウ・ザマ搭乗のビルバインとの激戦の最中に生じている。そうした空間で濃密に集積し、反復し合う戦意――それは恐怖や憎悪も含めて人間の極限の感情の動きであろう――それらが結び付き、絡み合い、「聖戦士」との交戦という特定の事象を機に噴出するものが、「ハイパー化」の正体であったかもしれなかった。
 そうしたエナジィが人々の心や生存本能といった魂の根源に資するものだとすれば、ラウの国の女王エレ・ハンムが「悪意」と断じたそのオーラ力のあらわれは、しかし、一口に善悪の秤に乗せられるものではないかもしれない。そして、そのような聖と邪の渾然とした巨大な力を自らも発し、御しうる者こそ、真の「聖戦士」であろうとも。

 

 

第8回「聖戦士と、ドレイクの野望と」(『聖戦士ダンバイン』より)