第11回「エ・フェラリオ――シルキー・マウとナックル・ビーの罪と罰」(『聖戦士ダンバイン』より)
ミ・フェラリオの中から選ばれた者は、水の国ウォ・ランドンに上げられ、修行生活に入る。これをエ・フェラリオといい、身長や姿形はコモン人とほぼ似たものになり、ミ・フェラリオの特徴であった背の羽も失くなる。また、水の国での生活に適応するため、コモン界での活動は可能ではあるが、最適ではなくなる。
ウォ・ランドンには明確な領域の区別があり、男のフェラリオはインテランへ、女のフェラリオはワーラー・カーレンに上がる。ワーラー・カーレンのほうがクスタンガ(コモン界に点在するフェラリオが生まれる桃源郷)に近いため、コモン界の人々が天の壁の向こう「エ・フェラリオが棲む水の国」として認知しているのは、このワーラー・カーレンである。
エ・フェラリオの見た目が示すように、ミ・フェラリオに比べて所作は大人びて、洗練さ、優美さをたたえる。そして、その後に至るべきオージ(光ある場所)を目指すために魂の修行を続けるというが、その個、人格やパーソナリティというものは残されていて、コモン界やコモンの人への興味などから、不可侵の戒律を破る者も皆無ではない。すなわち、コモン界へ降り、自らの性癖や興味を充たそうとする。そのような者たちには当然罰が与えられるが、それでも味わいたい甘美さがコモン界にはあるのだろうか――(罪と罰については後で触れる)。
また、エ・フェラリオともなるとオーラ力の存在や在りよう、つまりバイストン・ウェルという世界の仕組みを多少なりとも理解しており、そこに自らを関係させることも可能である。これは世界という太い幹があるとして、その枝葉末節にフェラリオが連なっているようなイメージをするとよい。この構造は逆に、バイストン・ウェルという世界そのものがフェラリオに与える影響も考慮すべきであろう。シルキー・マウやナックル・ビーがオーラ・ロードを開き、バイストン・ウェルという世界の綻びの象徴ともいうべき存在となったのには、彼女たち個人の資質もさることながら、そのような抗いようのない背景もあったのではないか……と当講座は考える。
ここで、オーラ・ロードを開いたエ・フェラリオとして伝わるシルキー・マウとナックル・ビーの罪と罰について整理しておく。
シルキー・マウはドレイク・ルフトの下でオーラ・ロードを開き、わかっているだけでもショット・ウェポン、ゼット・ライト、そしてショウ・ザマら6人の「聖戦士」をバイストン・ウェルに召喚したことで知られる。ラース・ワウの館でのシルキー・マウは、水牢(水を表す紋章が描かれたパピルス紙で封印されており、フェラリオはこれに触れることが出来ない)に囚われている。これはシルキーを苦しめるためではなく、エ・フェラリオは通常水の国にいるのだから、その外にいるほうがエ・フェラリオにはつらいのだということが、何度か目撃されたオーラ・ロードを開く前後の様子から推察できる。地上人の感性からすると、この場景は地上に降りた天女だとか、海から上がった人魚の姿を想起させるものだ。
シルキー・マウがオーラ・ロードを開く様子は、周囲のオーラ力を集めるかのように両手を捧げ、その光を天に向かう柱のように放出するものだったという。ギブン家が請うたナックル・ビーもまた、同じように単独でオーラ・ロードを開けたのだろう。しかし、ナックル・ビーはマーベル・フローズン一人を召喚したのみで、その後すぐにエ・フェラリオの長ジャコバ・アオンからの罰を受けている。シルキー・マウがラース・ワウから「脱出」するまでそれを避けられていたのは、「フェラリオが手出しできない水牢に囲われていたから」と考えられるが、どうであろうか。なにしろジャコバ・アオンは、フェラリオだろうとコモン人だろうと、強制的に水の国の自身の元へ転送する力を持っているのだから――。
そのナックル・ビーは、マーベル・フローズン召喚の後どうなっていたか。ジャコバ・アオンが彼女に科した罰は、エ・フェラリオともコモン人とも取れぬ醜怪な者として、コモン界でうら寂しく過ごすことであった。名もニクス・ティタンとされ、ナックル・ビーとしての意識や記憶はほぼ失っている。後日、ジャコバ・アオンと対面したマーベル・フローズンの歎願により、ワーラー・カーレンのエ・フェラリオに戻ることが出来た(ただし、記憶は完全に失われて再教育を受けることになる)。
前述したようにシルキー・マウはショウ・ザマによって「救出」されたが、これはジャコバ・アオンがショウの足音を消したり、周辺の意識を水牢から追いやるなどの手引きが功を奏したものである。この夜、シルキー・マウは水牢の内にいながら、いつもと異なり「まるで水の国にいるよう」と感じたという。また、チャム・ファウは「遠い昔、こんな気分に包まれたような気がする。生まれる前に、誰かが呼んでいたような」と言葉を残している。すなわち、エ・フェラリオの長ジャコバ・アオンが、女性形のミ・フェラリオ、エ・フェラリオをコモン界においても監視、管理していることのあらわれであったのだろう。
そして、結果ジャコバ・アオンの前に引き立てられたシルキー・マウは罰を受けた。それは「記憶を失くし、ミ・フェラリオとなって500年コモン界で過ごすこと」――事実上の追放であった。
以上が「聖戦士」ショウ・ザマの物語におけるシルキー・マウとナックル・ビーの顛末であるが、話には少々続きがある。このときより700年後――バイストン・ウェルには、後にあらたな「聖戦士」と称えられるシオン・ザバがいた。このシオンと出会い、運命を共にすることとなるミ・フェラリオの名は、シルキー・マウといった。これはジャコバにより罰を受けたシルキー・マウ当人とされている。500年をはるかに越えて、ミ・フェラリオとして過ごしたことになるわけだ。彼女をミ・フェラリオに落としたジャコバ・アオンは動乱の最中に消失しており、しかしその罰だけが生き、継続しているのだとしたら。「フェラリオの呪いは7代続く」という意味合いの脅し文句について前項で述べたが、果たして、シルキー・マウの罪と罰は、誰が許すのであろうか――。
第12回「浮上――ジャコバ・アオンと怒りの根源」(『聖戦士ダンバイン』より)